竹内流の系譜

竹内家が子から子へと相続継承!


 

竹内流は、

竹内家(藤一郎家・藤十郎家)が

家督相続の形態で継承するのが特色でしたね。

『竹内系書古語伝』や墓石刻字には、

師の代や名前が明示されています。

 

ここでは、竹内流の師の系譜を紹介しましょう。

*「古語伝」=こごでん・・・

*「墓石刻字」=ぼせきこくじ

〈おもな項目〉

◆師の系譜 流祖~八代目

◆師の系譜 宗家九代目~現在

◆師の系譜 宗家九代目~現在 


竹内流の系譜

流祖直系

(一子相伝)

竹内家代々の墓地(一部)
竹内家代々の墓地(一部)
二代目竹内常陸介久勝の墓石刻字
二代目竹内常陸介久勝の墓石刻字

流祖~八代目》

流 祖

竹内中務大輔久盛

二代目

竹内常陸介久勝

三代目

竹内加賀介久吉

四代目

竹内藤一郎久次

五代目

竹内藤一郎久政

六代目

竹内藤一郎久重

七代目

竹内藤一郎久孝

八代目

竹内藤一郎久愛 

  竹内流では、師の代は必ず「〇代目」と表記します。

 

「第〇代」「〇代」ではありません。竹内流を継承している竹内家の墓石には、二代目竹内常陸介久勝以降代々にわたって「〇代目」と刻字してあります。

 

「〇代目」の表記は、 竹内家が伝承する竹内流だけの特色です。二代目没後350年を経ていますが、その風習は今に続いています。


 

《宗家 九代目~現在》

九代目(後見役)

竹内雅門太久居

十代目

竹内藤一郎久雄

十一代目

竹内藤一郎久則

十二代目

竹内藤一郎久継

十三代目

竹内藤一郎久教

十四代目

竹内藤一郎久宗

(現在)

次 代

 

 

《相伝家 九代目~現在》

九代目

竹内藤十郎久種

十代目

竹内藤十郎久守

十一代目

竹内藤十郎久允

十二代目

竹内藤十郎久博

十三代目

竹内藤十郎久武

(現在)

次 代

 



〔一〕師の系譜

流 祖~八代目

 

 竹内流は、

流祖が創始した流儀を二代目と三代目が集大成して以来、

竹内家の子から子へと継承されています。

家を継いだ人だけが竹内流の師を名乗るのです。

珍しい相続形態ですね。

 

 なお、今から180年ほど前に、

一子相伝の術技と血脈が絶えるのを防ぐ特別な措置が講じられました。

八代目の一人っ子を分家させて流儀を二本立てにして、

九代目以降は宗家と相伝家を設けることにしたのです。

 

 そのために、竹内流の師の系譜は

宗家の系譜と相伝家の系譜に大別され、

いざというときには相互補完をする態勢になっています。

 

流祖 竹内中務大輔~八代目 竹内藤一郎久愛

◆流 祖

 竹内中務大輔久盛

 (ひさもり)

 文亀3年~文禄4年(1503~1595)

  • 元の名は久幸。
  • 一ノ瀬城主。
  • 竹内流捕手腰廻小具足の流祖。

 

◆二代目

 竹内常陸介久勝

 (ひさかつ)

 永禄10年~寛文3年(1567~1663)

  • 本名は藤一郎。官名の常陸介久勝は関白豊臣秀次卿から拝受。
  • 8年間の諸国武者修行で一躍有名になった後に、角石谷村の豊作地原(後の竹内原)に居宅と稽古場。
  • 後水尾天皇の代に賜った「日下捕手開山」の御綸旨は竹内家最高の栄誉。

 

◆三代目

 竹内加賀介久吉

 (ひさよし)

 慶長8年~寛文11年(1603~1671)

  • 幼名は歌之介、後に藤一郎。
  • 津山城家臣高木右馬之助との御前仕合が有名。
  • 晩年に藤一郎通居の栄誉。坂元に祖神祭祀の居宅と稽古場。

 

四代目

 竹内藤一郎久次

 (ひさつぐ)

 寛永19年~享保8年(1642~1723)

  • 幼名は角左衛門、藤一郎を襲名。
  • 兄藤市郎久且が布原に別家し、弟の久次が本家を相続。
  • 孔子の教えを『三徳抄』に編纂。

◆五代目

 竹内藤一郎久政

 (ひさまさ)

 天和元年~寛保2年(1681~1742)

  • 幼名は武平、藤一郎を襲名。
  • 往来道の上に稽古場、江戸に稽古場、日下捕手開山の表札。
  • 兄佐右衛門久好の長男を養子として藤一郎を継がせ、自らは藤一斎と改名。。

 

◆六代目

 竹内藤一郎久重

 (ひさしげ)

 宝永6年~寛政5年(1709~1793)

  • 本名は藤平、藤一郎を襲名。
  • 11歳で父を失い、18歳で五代目久政の養子となって家督を相続。
  • 江戸で没した五代目の遺品を赤穂で受け取り。

 

◆七代目

 竹内藤一郎久孝

 (ひさたか)

 宝暦10年~文政8年(1760~1825)

  • 幼名は吟八、後に角左衛門尉、藤一郎を襲名。
  • 流儀隆盛。家屋や稽古場の修復、石垣修復などの大事業。
  • 師弟一体の流儀継承の礎となる後見役(印可)の養成。

 

◆八代目

 竹内藤一郎久愛

 (ひさよし)

 寛政2年~天保7年(1790~1836)

  • 幼名は喜代之助、中頃に藤右衛門、藤一郎を襲名、後に角左衛門。
  • 40歳のときに長男藤十郎が誕生。一人っ子藤十郎を分家させて宗家・相伝家の二本立てで流儀継承を図る決断。
  • 弟政治郎久職の長男を養子に迎えて家督を相続させ、藤一郎を襲名させる大英断。

 


〔二〕師の系譜

宗家九代目~現在

 竹内流直系の藤一郎家の流れです。

 

 宗家の実質上の九代目は、

八代目竹内藤一郎久愛が家督相続をさせた竹内藤一郎久雄です。

しかし、印可・後見役の

竹内(池内)雅門太久居を特例として

九代目に位置づけています。

 

 

宗家の系譜 九代目竹内雅門太久居~現在

◆九代目(後見役)

 竹内(池内)雅門太久居

 (ひさすえ)

    生年不明~嘉永3年(不明~1850)

  • 阿州郷士池内十名八延久の次男、本名は池内村治。
  • 竹内流印可後見役として巨功があったので、七代目の三男に位置づけて竹内雅門太久居。
  • 八代目久愛が没した後に、淡路の洲本城主稲田太夫家臣を辞して、竹内藤一郎久雄と竹内藤十郎久種の後見に尽力。

 

◆十代目

 竹内藤一郎久雄

 (ひさかつ)

 文政5年~明治9年(1822~1876)

  • 七代目竹内藤一郎久孝の次男・政次郎久職の長男、幼名は角之氶。13歳の秋に父と死別し、15歳の春に伯父・八代目久愛の養子となって家督を継ぎ、藤一郎を襲名。後に角左衛門尉。
  • 印可後見役の杉山彦兵衛為義や竹内雅門太久居などの後見を受けながら稽古に精進。織之助とも号し、天保15年に京都竹内家から剣法奥秘の伝授。
  • 墓石には九代目と刻字してありますが、後に十代目に位置づけ。

 

◆十一代目

 竹内藤一郎久則

 (ひさのり)

 元治元年~昭和2年(1864~1927)

 

◆十二代目

 竹内藤一郎久継

 (ひさつぐ)

 明治30年~昭和13年(1897~1938)

 

◆十三代目

 竹内藤一郎久教

 (ひさのり)

 大正12年~昭和53年(1923~1983)

 

◆十四代目

 竹内藤一郎久宗

 (ひさむね)

 現 在

 ★生存者の身上に係る個人情報は差し控えています。

 

◆次 代


〔三〕師の系譜

相伝家九代目~現在

 

 竹内流直系の藤十郎家の流れです。

 

 八代目竹内藤一郎久愛は、

40歳になって初めて一人息子に恵まれ、

藤十郎と命名しました。

 

藤十郎は7歳の秋に父と死別します。

これを機に、お膳立てどおりに分家して

九代目を継承し、元服後に諱を久種とします。

 

 流儀と血脈が絶えるのを防ぐ

特別な措置でした。

これで竹内流は、

竹内流宗家と竹内流相伝家の

二本立てとなりました。

 

相伝家の系譜 九代目竹内藤十郎久種~現在

◆九代目

 竹内藤十郎久種

 (ひさたね)

 天保元年~明治30年(1830~1897)

  • 本名は藤十郎。天保7年(1836)の秋、7歳のときに八代目の父と死別。諸道具家督を二分してもらって分家。新たに居住する家宅は14年前の文政5年(1822)に建築された由緒ある建物。
  • 母の薫陶を受けながら、印可後見役の杉山彦兵衛為義や竹内雅門太久居などの後見を受けながら稽古に精進。
  • 元治元年(1864)、石見国濱田藩へ出頭して郷士格。明治2年(1869)、松平右近将監から郷士上等の命。

 

◆十代目

 竹内藤十郎久守

 (ひさもり)

 嘉永6年~明治39年(1853~1906)

 

◆十一代目

 竹内藤十郎久允

 (ひさみつ)

 明治11年~昭和25年(1878~1950)

 

◆十二代目

 竹内藤十郎久博

 (ひさひろ)

 明治42年~平成3年(1909~1991)

 

◆十三代目

 竹内藤十郎久武

 (ひさたけ)

 現 在

 ★生存者の身上に係る個人情報は差し控えています。

 

◆ 次 代


いかがでしたか。

竹内家(藤一郎家・藤十郎家)を継いだ人だけが

竹内流の代々の師を名乗っていますね。

江戸時代といえば今は昔となりますが、

『竹内系書古語伝』や墓石刻字は

当時を今へ伝えています。